解離性同一性障害と生きる。

解離性同一性障害、気分変調性障害の「わたし」のブログ

ブログ開設のお知らせと自己紹介

こんにちは、初めまして。

この度、ブログを開設しました。

眠れなかった朝の思いつきです、すみません。

以前から、唐突にわたしの状態を誰かに知って欲しい、、、!と強い衝動に駆られるのですが、今回はついに行動に移してしまいました。

一週間に1投稿〜のゆるやかな記録にする予定です、よろしくお願いします。

 

 

 

自己紹介。

 

改めましてこんにちは。自己紹介が遅れてすみません「わたし」と申します。

年はアラサー、付き合っている彼との結婚を今か今かと待ちわびるお年頃です。

 

タイトル通り、わたしは二つの病気とうまく付き合いながら日々を過ごしています。

一つは気分変調性障害、もう一つは解離性同一性障害という名前です。

どちらとも、自己診断ではありません。

まずは、この二つの病気からお話ししたいと思います。

 

 

気分変調性障害(わたしの場合)

 

気分変調性障害とは憂鬱な気分が1日の多くを占め、それが長期間に渡って持続します。

 

その他に、

自己否定感、身体症状(鉛のように体が重い、頭痛、吐き気など)、

思考の鈍化(言葉が理解できない、料理の手順がわからないなど)、

希死念慮

などがあります。

 

調子の良い時は、日常生活の大体ができるのですが、それが長く続きません。

鬱のトンネルとはよく言ったもので、長い長い憂鬱の世界にいる事が多いです。

しかしながら、最近はちょびっとでも無理をしない、好きなことだけをするという生活を送り、段々と調子の良い日が増えてきました、が。

こんな堕落した生活で生きるわたしという人間は、、、と自己否定&憂鬱スパイラルに入る事もしばしば。

なかなか一筋縄ではいかないようです。

 

 

 

解離性同一性障害(わたしの場合)

 

わかりやすく、乱暴にいうと「多重人格」です。

心の中に、独立した個別の意思を持った「人格」と呼ばれる「人達」が存在する、というものです。

こんなこと言って、「マンガ」「ドラマ」「厨二病」「嘘つき」なんて言葉が浴びせられたらと、ちょっと怖いんですが。

 

 

わたしの中にはわたし以外の人達がいます。

 

 

彼らは、私と違う(多分全くでは無いと思うが)違う考えをし、

わたしが出来ない、もしくはしないであろう行動をし、

この身体を守ったり、傷つけたりします。

 

それをわたしも彼らもコントロールしきれない。というのが、わたしの解離性同一性障害です。

 

人格の詳しい紹介はなんだか恥ずかしいので、しません。

正確な人数も理解できて、いませんしね。

よく出てくる人は2人いて、男性と女の子です。

基本的にわたしにストレスがかかった時、または彼らが出て来たいと思った時や、無意識的に出てきます。

 

ネットでよく目にするのは「記憶の共有が出来ているならお前は多重人格を装っているだけだ!」という批判。

困った事に、わたしは「記憶の共有が(大体)出来ている」解離性同一性障害です。

もっと言うなら、感覚的に、混ざっている、というか、例えばわたしと女の子が同時に外に出ている、なんていう状態を経験もしています。

自分が喋っていると思っているのだけど、感覚もわたしの感覚なんだけれど、自分のことを「女の子の名前」で呼んでしまい(女の子は自分のことを名前で言うのです)、あれ?っと、自分がわからなくなって、(わたしも相手も女の子も)混乱する状態というか、、、あああ難しいのですが、そんな感じです。

 

それに、頭の中で、多少話し合いも出来ます。

本当に人と喋っているというのとは少し違いますが、頭の中に彼らの声が響いて来て、考え事をするよように脳内で話すといった感じです。

映像として浮かぶ場合もあります。(多分、白昼夢のような感じなのではないでしょうか)

そうする事で、誰が身体を使うか、決まる事もあります。

ですので、私はよくボーッとしているようです。

それは幼少期から通信簿に書かれていたことを今思い出しました。

 

また、最近は自分や他人を傷つける人達もほとんど出てきていません。(ゼロではないですが)

以前は自殺未遂やら、何針も縫うほどの自傷やら、我に帰る(完全に記憶は抜け落ちていない)と病院、といった事が何度もあり、両親に申し訳ないと思いました。

今は、デフォルメすると「わきあいあいと人格にサポートしてもらいながら呑気に暮している」という状態です。

もちろん、気分変調性障害もあるので、気分の落ち込みや動けない日も多いですが、よく言われる「完全に数日間の記憶がなくて、今どこにいるのかわからない」なんてことは、今現在ないです。

自傷癖のある人格が出て)流血を伴う自傷も半年〜1年位無いです。

(腕などを机にぶつけたり、なんかはありますが、、、。)

 

 

きっと、上記のような理論を持っている人達からすれば、私は演技をしている厨二病でしょう。

けれども、わたしの中には間違いなく「彼ら」がいます。

少なくとも、診断をした先生と私、彼はそう思って生きています。

人格がいること。それは慰みであり、恐怖でもあります。

 

これに気づいたのは高校生の頃でした。

友人から校内でスキップしてるし(自覚なし)、喋り方も変(幼かったらしい)だし、誰か中にいるんじゃないの?と言われたのがきっかけです。

そこから、え、なになに、そんなことあるの?と自分の心を探ってみたら、居ました。

居たというとのは、友人が呼びかけたら、出てきたんですね。(なんとまぁ理解のある友人だったんだと今では思います笑)

初めて意思を持って出てきた人は少年でした。(多分、スキップさんとは違うと思います)

 

初めはうまくコンタクトも取れず、コントロールも全く出来なかったです。

今より記憶が抜けている事も多かったと思います。(あまり、覚えていませんが)

本当に意味がわかりませんでした。でも、あまり怖いとは思いませんでした。

当時は今よりも憂鬱が強く、すごくすごく、ずっと死にたいとと思っていたので、誰かが私の代わりに生きてくれるなら、こんなに良いことはないと、思っていたのです。

その内、数えられない人達が出て、他人も、自分も傷つける人が出て、初めて怖いと思いました。

人間関係も随分無くし、危ない思いもたくさんして、(自分からも、他人からも)痛い思いをしました。

そうしてやっと、これはヤバいと、身に染みて実感しました。

 

それから、医者にも真剣にかかって、診断を頂いて、少しずつ周りに話して、理解されたり、さよならしたりして、今の彼に出会い、彼の家族にも打ち明け、受け止めてもらい、今に至ります。

その間に、心の中へ、たくさん話しかけました。そして、少しずつ会話ができるようになりました。

また、記憶も(ほとんど)無くさなくなりました。

 

他の人たちが身体を使っているとき、わたしは、(使った事がほとんどないのでわかりませんが)多分自分の意思で動かせないVRで映像を見ているような感じだと思います。

とてもリアルでそこにいるような感じなのだけれど、そこには居ない。そんな感じです。

基本的に自分では思うように動けませんし、乱暴な人格が出たり、マズい状況でなければ、動かそうとも思いません。

中にいるときの感覚は、自分の布団で毛布に包まっているような安心感があります。

 

また、自分が中にいる時はあまり認知できないのですが、普段(身体を使っている時)は、集中すると中に空間があり、それを見る事ができます。

わたしたちは一軒家に住んでおり、家の中にいる人たちが身体を使う事ができるようです。

(本を読んでいないので詳しくは知りませんが)ビリーミリガンのように、スポットライトはありません。

普段は私の他に3〜4人いて、たまに出たり入ったりして、人数が変わります。

家にはドアがついていて、外にも空間がありますが、昔は家がなく、だだっ広い草原や荒野なんかが広がっており、どこからでも出る事ができました。

私がしばらく中を確認出来ず、人も出ていない(と思う)時期があって、それが終わるといつの間にか家の中にいました。それから家の外へは出ていません。

心の中は、そんな感じです。

 

最近は、わたしが出ている事が多いので、すごく疲れたときや、よく出てくる2人が出たいとき(尚且つ出られる時)に中にいます。

調子が悪いほど中にいる時間が長く、調子が良ければ短いです。

ですが、調子が悪ければ、必ず中に引っ込めるわけではありません。

どうしてこんなに辛いのに!というときに限って、他の人が出られない事も多いです。

中々便利に、とはいかないですね笑

 

今通っている病院の先生とは、いつかひとつになれたらいいけれど、それまでは共存していく。というスタンスで付き合ってもらっています。

わたしも、今彼らを統合(人格がくっついたりして少なくしていくこと)してしまうのは、とても不安なので、このまま、いつかひとつになる日が来るまで、共に居たいと思って居ます。

 

わたしにとっても解離性同一性障害は、こんな感じです。

 

 

病気の説明が大半でしたが、自己紹介でした。

気がついた事があったり。進展があったら、随時書き込んでいきたいと思います。

このブログは他の人たちが書くかもしれません、まだ、何も決めていませんから。

自由に自由に、やっていきたいと思います。

 

こんな「わたしたち」を、読んでいただけたら、嬉しいです。

 

 

わたし。